川口ひろし新聞

川口ひろし新聞 NO.8(2005.04.01)  2005年04月01日 発行
川口ひろし新聞 NO.6(2005.02.10)  2005年02月10日 発行
川口ひろし新聞 NO.5(2005.01.10)  2005年01月10日 発行
川口ひろし新聞 NO.4(2001.12.25)  2001年12月25日 発行

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今だから、できる NO.3(1998.06.03)

読みにくいニュースですみません。迅速をモットーに、パソコンで原稿を書き、自宅のコピー機で印刷しています。前回はコピー機の故障や人手不足のため、お届けするのが遅くなったところもあり、申し訳ございません。

・5月議会の報告
5月議会は、5月28日・29日と6月2日の3日間開催されました。おもな内容は議会役員の改選と町営住宅用地の買い入れについてです。議長、副議長、監査委員のいわゆる議会役員の三役が6年ぶりに、投票による選挙で選ばれました。さまざまな考えや思いが複雑にからみ合って、実質4回に及ぶ役員選考委員会で結論が出なかったためです。選挙の結果、議長に藤井さん、副議長に平井さん、監査委員に杉村さんが選出されました。私は、民生委員推薦会委員と島本町青少年問題協議会委員をつとめることになりましたので、よろしくお願いします。総務文教常任委員と議会だより編集委員は昨年度からの継続です。町営住宅用地の買い入れについてですが、大阪染工工場跡地8767.17平方メートルを13億1069万1915円で購入する契約です。耐用年数が過ぎた町営住宅の建て替えは、永年の懸案事項でした。現在町営住宅のある場所に建てるよりも、大阪染工工場跡地に建てるほうが、経費や工期を考えた場合、効率的だと思います。ただ、現在町営住宅に住んでいる方の気持ちや家族構成、年齢など充分配慮することが大切で、今後の重要な検討課題です。

・府営水道導入についてパート2
府営水道の導入については、データをどのように分析するか(データそのものは客観的ですが、それをどのように分析するかは個人の主観です。)、危機管理、感情と理性、ライフスタイル、行政の情報力など、多くの要素が絡んでいます。水との関わりを考えるためにも、島本町の水道の状況を知るためにも、大薮浄水場の見学をお薦めします。電話での予約が必要ですが、くわしく説明してくれます。私に電話していただいても、結構です。「百聞は一見に如かず」です。

・住民投票条例のマスコミ報道について
「犬が人間を咬んでも、ニュースにはならないが、人間が犬を咬んだらニュースになる。」と言われていますが、今回のマスコミ報道をとおして、「ニュースも商品である。」と痛感しました。「住民投票条例が成立しなければ、ニュースの商品価値はないが、住民投票条例が成立すれば、ニュースの商品価値がある。」というわけで、データや今までの経緯を無視して、「水をめぐる住民投票」「水増しお断り」とおもしろ、おかしく報道し、住民をいたずらに混乱させ、住民投票条例を成立させるようにリードしているように感じました。機会があれば、もう一度、その頃の新聞を読み返してみて下さい。新聞やテレビ、雑誌などから多くの情報を得ていますが、どれが正しくて、どれが正しくないか、なかなか判断できません。情報の洪水に溺れないためにも、正しく判断する眼が必要です。

・ダイオキシン
ダイオキシンは「地上最強の猛毒」ともいわれ、ポリ塩化ジベンゾーパラージオキシン(PCDD)とポリ塩化ジベンゾフラン(PCDF)をまとめてダイオキシン類と呼んでいます。PCDDは75種類、PCDFは135種類の仲間があります。ダイオキシンは塩化ビニールなどを含む塩素系ゴミを燃やすと発生し、その約9割が一般ゴミや産業廃棄物を焼却するときに発生するといわれています。現在、島本町のゴミ焼却場には、2つの焼却炉があり、24時間連続運転ではなく、間欠運転です。低い温度で焼却すると発生しやすく、850℃〜950℃で焼却するのが最適です。平成9年12月11日と12日の調査では、6.6Ngと7.1Ngのダイオキシンが測定されています。大気汚染防止法により、平成 14年12月までに5Ng以下にする必要があり(現在80Ngが基準値です)、活性炭吸着法・RDF方式(ゴミの固形燃料化)・広域的なゴミ行政が検討されています。また、土壌調査も実施されます。なによりも、ゴミの減量化・リサイクル化・資源化が大切で、そのためにもゴミの分別、ゴミを出さない工夫が必要です。

・ホームページ開設に向けて
先月、インターネット上に電子メールを開き、ホームページの開設に向けて準備中ですが、なかなか手強く苦戦しています。教えていただける方がおられましたら、よろしくお願いします。とりあえず、多くのホームページをのぞいたり、本で勉強しているところです。パソコンはマッキントッシュです。電子メールのアドレスは、giin-d97@dc4.so-net.ne.jpです。去年(1997年)から島本町議会議員とディレクターを兼ねていますので。

今だから、できる No.2(1998.05.01)

あれから1年、ほんとうに早いものです。その節は、たいへんお世話になり、ありがとうございました。議会や委員会の席にいるとき、「オレは、なにをしているのだろうか?」「なぜ、ここにいるのだろうか?」と、落ちつかなく、不安な気分に陥るときがあります。今までの仕事の世界とあまりにも異なることが多いのでよけいに。新人議員として、1年が経過してしまいました。議員として、観察から発表・表現・行動へシフトチェンジしなければならない時期です。これからは積極的に自分の考えや各種の報告をしてまいりたい、と思いますのでよろしくお願いします。みなさまがたの、ご意見・ご批評をいただければさいわいです。

・平成10年度予算について
平成10年度の予算審議は3月25日に終わり、今年度の予算は21世紀の島本町のまちづくりに向けて、おおきな第一歩を踏み出した、といえる内容で、21世紀の島本町のイメージが見えてきた、ともいえます。(仮称)運動緑地公園、町営住宅の建て替え、JR新駅の設置、どれもまだ計画がスタートしたばかりですが、長年の懸案事項でもあります。具体的な作業はこれからですが、基本的な考え方やコンセプトについて、住民の方のご意見やお考えをどのように反映させていくかが、その方法、システムの確立を含め、大きなテーマであり課題でもあります。

・大阪府営水道導入について
さて、4月の21日から30日まで臨時議会が召集され、23日と24日の2日間開かれた特別委員会(会派の代表で構成された)で集中的に、大阪府営水道の導入についての住民投票に対し、審議が行われました。また、この住民投票条例の請求に対し、特別委員会、本会議において否決されました。今までの経緯と島本町の地下水の状況、わたしの考えを素直にお伝えします。府営水の導入については、昭和54年以来、議会や委員会で審議されてきており、昭和63年に島本町が大阪府に府営水導入を依頼し、受水証明を受けており、平成9年度には送水管の布設工事も完了し、現在、受水申請を提出する段階です。地下水の状況ですが、島本では浅井戸と深井戸あわせて10本の井戸から地下水を汲み上げています。浅井戸の水は水質も良く塩素滅菌処理だけで飲めますが、深井戸の水は水質も悪く鉄やマンガンが含まれており、薬品処理が必要です。昭和60年以前は主に浅井戸に頼っていましたが、現在では、島本の水道水は浅井戸の水が3割、深井戸の水が7割を占めています。離宮の水と蘆刈コーナーの水は、浅井戸から汲み上げ、塩素滅菌された、島本で一番おいしい水です。浅井戸は水無瀬川の伏流水で涵養が可能ですが、深井戸は貯留型で涵養が困難だ、と言われています。平成10年の地下水の報告書には、「過剰揚水により、水収支のバランスがくずれ、地下水の水位が低下している。」と指摘しており、このままだと井戸が枯渇する危険性があります。たいへん悲しいことですが、理想や願いと別の次元でデータをもとに判断すれば、現実的な結論として、府営水を導入せざるを得ない、と考えます。これを契機に、いま以上に水を大切にすることが求められている、と思います。

・住民投票について
住民投票は民意を反映するもので、多くの可能性があります。しかし、住民投票にふさわしい対象とふさわしくな対象があります。判断ミスが許されない、責任がはっきりしない対象は、住民投票にはふさわしくない、とかんがえます。また、投票の結果が経済力・組織力・宣伝力に左右される危険性もあります。宣伝は、科学的なデータを伝えるより、感情や感覚に訴えるとき、その力を発揮します。

最後に、今回の議会を通じて、自分が議員であることを初めて実感するとともに、議員の責任の重さを痛感しました。今日の午後から5日の夕方まで、ボーイスカウト指導者の研修会のスタッフとして、能勢のキャンプ場へ行きますので、その間は自宅にはおりませんが、みなさんのご意見お待ちしております。現在、インターネットのホームページで情報を公開していく準備を進めています。また、島本町の住民による、住民のためのイベントを企画しています。今後ともみなさんのご支援、ご指導をお願いいたします。

今だから、できる No.1(1997.02.22)

・後援会設立にあたって 後援会会長・加藤繁

立春を過ぎ、日ざしも随分とやわらいできました。今般、川口ひろし氏の後援会長をお引き受けしたわけですが、振り返りますと氏とのつきあいは、かれこれ10年になります。青少年育成団体のひとつである、ボーイスカウト島本第1団にて出会ったことが最初でした。最初は一保護者として来られていたわけですが、子どもたちを見つめるうちに、本来の子ども好きな一面が発揮されたのでしょう。すぐに指導者となられ、多くの保護者の皆様からの信頼を得られたわけです。その後、長年にわたり指導者として子どもを見つめ、保護者の方々といろんなことを話されているうちに、地域との関わりを強く意識されはじめたと伺っています。今まさに「子どもを取り囲む環境」という面を様々な方向から見つめた場合、確かにこれでいいのだろうか、との疑問を禁じ得ません。彼のその問題意識は、みずから自然・環境について学ばせる契機となったのでした。その後、日本自然保護協会・日本野鳥の会・日本ネイチャーゲーム協会・フィールドソサエティー・高槻野鳥の会などの会員として自己研鑽しながら、それをいかに子どもたちに伝えるか、今、ボーイスカウト活動を通して実践されているところです。その向学心には感心させられるばかりであり、根底には「子どもたちのために」という彼なりの大きな夢があるかだろうことは、疑う余地もございません。
そんな氏に、「21世紀を考える-子どもたちと親子関係を見つめて-」というテーマで、インタビューを試みました。少しでも氏の考えなり人柄が伝われば幸いです。

・インタビュー「21世紀を考える-子どもたちと親子関係を見つめて-」(抜粋)

加藤 子どもたちについて、どうとらえていらっしゃいますか?

川口 そうですね。「子ども」という存在は、社会的には未成熟なわけです。また、好奇心のかたまりのような存在です。それが突拍子もない行動につながったり、とんでもないことをしてしまったりするわけです。だからこそ、大人がいかにリードできるかが大きな問題なんです。純粋無垢な時代にこそ、いい大人との出会いを大切にしたやりたい。また思春期、彼らは大人をものすごく冷静に見つめています、恐いくらいに。だからこそ、大人の社会はいいものであらねばと思います。

加藤 子どもたちに、どんな風に育ってほしいと?

川口 まず、優しい子になってほしいと思います。まわりのことに気がつく子どもになってほしい。視野の狭い子どもには、決してなってほしくないですね。

加藤 私もボーイスカウトの指導者経験がありますが、当時を振り返ってみますと、結構「しつけ」という部分で厳しかったと自分で思っていますが、川口さんは、いかがですか?

川口 そうですね。言葉づかいには、結構気を配り注意もしました。確かに、子どもには「育ててもらう権利」があると思います。しかし、それとともに「育ててもらう義務」もある、と思っています。そのあたりを誤解している子どもや、その点で甘くなっている大人も多いのではないかと危惧しています。また、逆から見れば「大人たちは、社会において、我が子・他家の子を育てる権利」があるんですね。それも立派に社会に通用する、社会性を持った成人に。今そのあたりがかなり希薄になってきている。大人が子どもに対して「義務」としてつき合うと見えてこないことが、「権利」としてつき合うと多くのことが見えてくるし楽しくなってきます。昔、ぼくらの子どもの頃は、暇そうな大人が一人や二人はいて、そんなおじさんやおばさんが何やかやと声をかけてくれたし、怒られもした。今だってぼくらの周りには、いい大人は多いです。いろんなことで子どもを意識をもって見つめている近所のおじさんやおばさんは多いのに、そこらあたりが昔みたいに機能しなくなった。寂しいですが、みんな熱い心はなくしてないと思います。じゃあ、何が足らないか?そのあたりをコーディネートする人がいれば何かできるんやないか、そう思います。できれば、そんなことをコーディネートし、大人どうしが手をつなぎ、安心して子どもを育てられる場を作っていきたいですね。

加藤 なるほど、今こそ親子関係を探り子どもを育てるために、コーディネーターが必要だとという、川口さんのお考えを伺えたわけですが、大変おもしろい発想だと思いますね。さて、今の社会においては、いろんな場面でコーディネーターが必要だという、川口さんのお考えを伺ったわけですが、「社会におけるコーディネーター」という観点から見た場合、子育ての他にどのような点があるとお考えですか?

川口 実は、そんなことを考えるきっかけになったのは、2年前の阪神大震災の時、ボランティアとして参加してからなんです。拠点となる西宮市役所まで一人で歩いていました。駅に向かって多くの人が黙々と歩いていました。確かにいろんな音、生活音であるとか、車の音であるとか、犬の鳴き声であるとか、あったはずなんですが、耳に入らない。職業用語を使いますと、音と映像がシンクロしていない非日常の世界、という感じが心に残っているんです。そんな中で、多くの若い人たちのさわやかな姿に触れ、人間もなかなか捨てたもんじゃないなあと深く思いました。人間って、変われるものだと思いますね。あの時、遠方からも多くの善意の人たちが、いても立ってもいられず現場に駆けつけたように、人間ってそもそも「すばらしい心」を持った存在なんですね。豊かな時代には、人間関係を絶ち社会的に孤立して生きていけるのですが、今はそんな時代ではないと思います。それぞれの人がそれぞれの善意を出せないで出し切れないで、何か手をこまねいて待っている。今はそんな時代かなあと思います。そのいいものを集めていくと、社会だってきっといい方向に変わります。そのためにも必要なのが、「社会におけるコーディネーター」だと思っています。

加藤 確かに、阪神大震災は私たち戦中派(言葉は古いですが)にとっても改めての衝撃でした。さて、子どもたちから大人へと話は展開してきましたが、今、我々の大人社会についても何かお考えがありますか?

川口 今、「変わらなきゃ!」という言葉とともに、そう思いはじめている大人って結構多いですよね。みんな確かに思っているんですね。「このままじゃ、いけない、環境・社会・教育・経済」、でもみんなどうしていいかわからない。だから、まあいいか自分が自分なりに変わっていけばいい、と。しかし、私はこう思うんです、もう、「変わらなきゃ!」という時ではなく、「変えなきゃ!」という時にきているんじゃないだろうか。みんな、そのための「コーディネーター」を求めているんじゃないか、と。水の問題、エネルギーの問題でもそうです。豊かさとは裏腹に精神的にはとても貧しい時代なんだと思います。いい水がほしい、水不足も目に見えている。自分なりにこのままじゃあ駄目だと思っている人は多い。でも、まあいいか、ですませてしまっている。そんなことでも、いい方向に「コーディネート」し、「変える」システムがあればうまくいく、そう思います。元々、人間のもっているものの中に、自分たちの子どもの世代(次世代)には、今よりいろんなものを良くして子どもたちに伝えたい、残したい、という欲求があるんです。でも、我々は自然に対しても随分と傲慢になってますね。

加藤 「自然」という言葉がでてきましたが、それは様々な自然保護団体の関わってこられての実感でしょうか?

川口 そうです。そして、人間の傲慢さが自然のとらえかたを変えてきつつあるのじゃないかと懸念しています。エネルギー問題を含めて、私たちは、「自然は人間の都合のいいように変えられるもの」と大きな誤解をしているのじゃないかと思います。人間は、もっと自然に対して謙虚にならなくてはいけません。自然を勝手に都合よく変えていくのではなく、自然から学ぶことにもっと感謝すべきです。今の子どもたちは知識は深いかもしれませんが、「それを生かす知恵」という点では、その知識が生かしきれていないようですね。もっと自然と対峙し対話してほしいですね。これだけは、いろんな活動を通して子どもたちに伝えたいです。

加藤 こうしてお話してみると、確かにいろんな問題に直面している現実なんだと実感しますね。そこで、川口さんの持ってらっしゃる人生訓というかバックボーンとなるようなものが、何かあればお聞かせください。

川口 バックボーンですか、難しいですね。本は好きでよく読みます。一冊の本を読むと、そこから派生して次はこの本を読まなくては、という本地獄に陥ってしまいます。ボーイスカウト活動を通して読んだ本の中に、創始者であるベーデン・パウエルの言葉に興味深いものがありました。「子どもは悩まない。悩む時大人は立ち止まるが、子どもは動き回って決して立ち止まらないから悩みが解決されていく。」といった趣旨の言葉ですが、今、私たちも悩んでいる時間はないと思います。とにかく動いてみることが大切なんだと思います。そこから何か生まれればと、また生みだしたいとも。

加藤 最後に、今みなさんにこれだけは伝えたいということは何でしょうか?

川口 今、47歳という年齢になって不思議と「縁」ですとか「恩」という言葉に気持ちを動かされるようになりました。この島本で生まれ育ったこともそうです。子どもたちとの関わりからボーイスカウト活動に関わり、そこから自然や地域のことを強く意識しはじめたのも、そういった不思議なものに動かされてかなあなんて。今、21世紀を目前にして、みんなの心の中にある種の恐れがあると思います、「今、変わらなきゃあ」という。でも、みんな何から手をつけていいのかわからないで手をこまねている状態ですよね。地球的な規模で心配をし不安も抱いています。何かできればという思いはいっぱい感じます。だからこそ、小さなことから、できることから一歩づつ、この島本町を発信基地にして、地球が人が手をとりネットワークを組んで行動をおこしましょう。次の世代に少しでも荷物を軽くして、島本を地球を手渡していけるように。

加藤 ありがとうございました。まだまだ伺いたいことはたくさんありますが、今回はこれくらいで。